水越 啓 (テノール) のCDと演奏会情報を掲載します。「ベートーヴェン歌曲選集 初期歌曲篇」

CD「ベートーヴェン歌曲選集 初期歌曲篇」

 

水越   啓(テノール)
重岡麻衣(フォルテピアノ)

読売新聞「サウンズBOXクラシック」推薦盤
音楽現代 推薦盤

L.v.ベートーヴェン:

[1] 鶉(うずら)の鳴き声 WoO 129
[2] 嘆き WoO 113
[3] 希望に寄す Op.32
[4] 死せるプードルに寄せる哀歌 WoO 110
8つの歌曲 Op.52 より
  [5] ウリアン氏の世界旅行 Op.52-1
  [6] 安らぎの歌 Op.52-3
  [7] 五月の歌 Op.52-4
  [8] マーモット Op.52-7
[9] 奇跡の美しさを持つ花 Op.52-8
[10] 優しき愛 WoO 123
[11] 独り言 WoO 114
[12] ラウラに WoO 112
[13] ミンナに WoO 115
[14] 魔王(R.ベッカーによる補筆完成版) WoO 131
ゲレルトの詩による6つの歌曲 Op. 48 より
  [15] 祈り Op.48-1
  [16] 死について Op.48-3
  [17] 懺悔の歌 Op.48-6
[18] この小暗き墓に WoO 133
[19] なんと時は過ごし難いものか WoO 116
[20] 愛の喜び WoO 128
[21] 新たな愛、新たな日々 WoO 127
[22] アデライーデ Op.46

 

ALCD-7214 税抜価格2,800円 2017/07/07発売
JAN 4530835 111740

http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD7214.html


●水越 啓 今後の演奏会出演情報

コンティヌオ・ギルド 通奏低音組合

第4回公演 生と死の傍らに 〜17世紀ドイツの歌曲を支える通奏低音の世界〜

2019年2月6日(水)19:00 日本福音ルーテル東京教会
詳細 
https://www.facebook.com/events/667285527000852/


「音楽現代」2017年9月号、評:西原稔
歌曲作曲家としてベートーヴェンはどのような位置づけにあるのかは、音楽史研究においても、演奏においても極めて重要である。しかし、ベートーベンの歌曲が演奏される機会は残念ながら少ない。とりわけ重要な意味を持つのが1800年までの彼の歌曲創作である。このCDはベートーヴェンの初期の歌曲に焦点を絞り、しかもほとんど演奏を聴くことの少ない作品を丁寧に掘り起こしている。それだけではない。とりわけ水越の澄んだテノールの歌唱は、この時代の歌唱法を彷彿とさせる素晴らしい演奏で、高く評価したい。このCDでは「8つの歌曲」(作品52)や「ゲレルトの詩による6つの歌曲」(作品48)からの作品などを収録している。


「CDジャーナル」2017年9月号 評:山本義彦
艶やかな水越 啓の歌唱を繊細な重岡麻衣のフォルテピアノが支える。なんと素敵なCDだろう。「優しき愛」や「アデライーデ」を除けばほとんど知られていないベートーヴェン初期の歌曲をこれほど夢中になって聴けるとは驚きだ。日本の若い音楽家たちもやるじゃないか。

「レコード藝術」2017年8月号 評:堀内 修
 ドイツ歌曲はシューベルトから始まる。ベートーヴェンからではない。ベートーヴェンは先駆者で、その歌曲は前史に属している。歌手がそう主張をしているわけではないが、そう聞こえる。
 テノールの水越啓が重岡麻衣のフォルテピアノで歌っているのはベートーヴェンの初期あるいは中期に属する歌曲で、未完の作品や珍しい作品が含まれている。≪アデライーデ≫のようによく知られた歌もあれば、≪ミンナに≫や≪魔王≫のようにもともと未完で、後に補筆完成された歌もある。
 初期の歌だからという事情もあろうが、水越啓はとても注意深く、ロマン派歌曲の要素を排除して歌う。≪アデライーデ≫のまったく劇的でない歌唱に驚かされるが、これはとても筋の通った解釈というべきだろう。他の歌でも若いベートーヴェンの、稚拙でもある天才を、そのままに描こうという意図がよくわかる。もちろんフォルテピアノと組む狙いも、はっきりと聴き取れる。
 ベートーヴェンの歌曲の魅力を存分に味わおうと言うのではなく、冷静に、過不足なく歌って、きちんとした資料をこしらえようとする姿勢を評価すべきだろう。詞はとても明瞭だし、歌も破綻がなく整っている。これが最初で、この後に2枚目に続くはずだ。ベートーヴェンの初期の歌曲がどういう性格なのか、きちんと聞き取れる1枚として価値を持っている。

「レコード藝術」2017年8月号 評:城所孝吉
ベートーヴェンの歌曲は、≪アデライーデ≫や≪遙かな恋人に≫などのいくつかの例外を除いて、古典的な佇まいを見せている。古典的とは、ややネガティブな言い方をすれば類型的だということ。これはベートーヴェンが類型的な音楽を描いた、というよりは、彼が付けた詩そのものが型に従っている、ということだろう。例えば≪死について≫は語り手の実存的な姿を語ったものではなく、一般的な死のイメージをなぞったもの。数々の愛の歌も観念的で、シューベルトやシューマンの生々しい作品と比べると、人形的な印象が拭い得るない。そのスタイルに、水越啓と重岡麻衣は実に適切な表現を与えている。型で書かれた作品に、その範囲内で最大限の表現を行っているのである。とりわけ重岡の伴奏が素晴らしい。修辞的音型やシンプルな伴奏形をドラマのある音にしており、「型の中で生きた表現をする」ことを体得していると感じさせる。一方、水越
の声は美しく、自然。プレガルディエンを連想させるほどで、聞いていて惚れ惚れとしてしまう。これでドイツ語の発音、エロキューションがあと1段上のレベルにあれば鬼に金棒だが、彼が国際的なレベルの歌い手であることに変わりはない。最後の≪アデライーデ≫は、ロマン派的な表現を感じさせる作品だが、両者はむしろ本来の形のほうに引き寄せ、その中で自在な歌を歌い出している。


「アントレ」2017年9月号 評:飯森豊水
今月は、テノールの水越啓とフォルテピアノの重岡麻衣による『ベートーヴェン:歌曲選集 Vol.1
~初期歌曲篇』を紹介する。ふたりはリサイタル・シリーズ「ベートーヴェンが生きたウィーン」で、古典派の歌曲を演奏してきたが、そこからベートーヴェンの初期作品に焦点をあてて改めて録音したものだ。
 この企画についてはインターネット(YouTube)の「クラシック・ニュース」の中で水越自身が説明している。それによれば、水越はカンタータ演奏の傍らでリートを重点的に研究しており、リサイタルではとりわけベートーヴェンに共感したこと、さらに、彼が学生時代以来、長年にわたって共演してきた重岡が特にベートーヴェンに愛着を抱いていて、その初期歌曲にふさわしい楽器(ロバート・ブラウンが2006年に製作した、1800年頃のアントン・ヴァルターのレプリカ)を所有していたことが背景にあるのだという。
 水越の飾らず率直な人柄の伝わるインタヴューは、このディスクへの興味をいっそう播き立てた。それは、ベートーヴェンの歌曲には、彼の「重厚」な交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタ等とは別の、ひとりの人間としての素直な生活感情が表現されているはずなのに、多くの演奏では作品に内在する生気がいくらかぎこちなく抑制(抑圧?)されてきたのではないかと私が個人的に考えてきとことと関係する。もちろん、30歳近く若い同時人であるシューベルトと比較すれば、ベートーヴェンがいくらか生硬な表現に留まったのは否定できない。しかしここに、まだ「習作」的な器楽作品を書き続けていた若き日のベートーヴェンのみずみずしい生活感情を探る可能性があるなら、ぜひ聴きたいと思ったのだった。
 水越の歌唱は、それ自身が魅力にあふれる。元来美声に恵まれたその声質は、ドイツ語作品であっても明るく開放的に響く。しかもあらゆる音が精緻にコントロールされているので美声が損なわれることがない。またドイツ語の発音が美しい上にテキストを的確に把握しているので、歌詞に鋭敏に反応して表現はみずみずしさを増している。ドイツ人声楽家の多くは水越よりも深い響きを作り出すが、逆にそれが彼の清新さをアピールすることにもなっているのではないか。
 またこのディスクで気づくのは、彼のカンタータの経験のためか、歌詞の内容がこじんまりと箱庭的な世界に留まるのではなく、物語的な広がりや劇的な展開に繋がっていることだ。もっともこれには、共演の重岡の寄与するところが大きい。ふたりの演奏を聴いていると、大ぶりな表情をつけるのはむしろ重岡で、多くの場合、水越は繊細な表情で応えながら慎重にバランスをとっているように映る。それでいてふたりの間には水も漏らさぬ連携が保たれている。
 例えば1曲目の《鶉(うずら)の鳴き声》 WoO
129。詩は3節からできていて、形式的にも内容的にも有節歌曲として作曲されて不自然ではなかった。しかしベートーヴェンは、「完全に通作(自身の言葉)」した。これに呼応するようにここでの演奏は各節の最後の2行をリフレインとして扱っていない。重岡は第2節のこの箇所で急激に音量を上げて煽り、水越もそれに応えて、第3節での劇的な展開を用意する。そして第3節では単語ひとつひとつを「流す」ことなく明確に意味を刻ませ、結果的に音楽の流れより歌詞の展開を際立たせる作品としている。
 実は私自身、最初はこの演奏を「やり過ぎ」だと思った。でも、直情的で過敏な若き日のベートーヴェン自身が演奏したなら、もっと激しかったのかもしれない…。
 このように、ふたりの演奏は、若々しい率直さと一定の抑制との間で聴き手の想像を駆り立ててくれるものとなった。それにしても重剛の果たす役割は大きい。彼女がベートーヴェンに格別の愛着を抱いているというのも領ける。対する水越の美声と無垢で素直な音楽性。なんと魅力的なデュオだろう。